皆さんのお陰で全国的に名を知られるようになった讃岐うどん。これまで何度かブームが起こりましたが、「さぬきうどんブーム」が起こった回数については見解の分かれるところです。オンライン百科事典であるウィキペディアを覗くと、香川県農政水産部は、20世紀後半から4度の讃岐うどんブームが起きたとの記述があります(以下そのまま引用)。
【第1次:1969年】
最初の注目。立ち食いうどん、大阪万博への出店や金子正則知事によるトップセールスなどによる。
当時香川県はPRのためキャラバン隊を組織していた。
【第2次:1988年】
瀬戸大橋の開通を受けて四国全体の観光客が増加し、うどん店への客も増加した。
一部の店が値段を高騰させるなどの問題も生じた。橋の開通が好影響を及ぼし、冷凍讃岐うどんの売上が急増し、全国的に手軽な讃岐うどんとして普及していった。
【第3次:1995年】
田尾氏らの仕掛けによる香川県内のうどん店を巡る客の増加。
引き続く全国区への「怪しい店」露出による県外からのうどん店目的の観光客の増加。
【第4次:2002年】
香川県外でのセルフうどん出店増加により、讃岐うどんを認知し、実際に食べる機会が増えた。
もちろんこういう見方も十分に説得力がありますが、一方でうどんの生産量に着目すると違った見方もできます(画像参照)。
第2次ブームの生産量は、30,533㌧@1990年⇒39,717㌧@1991年と僅か一年で30%もアップしているので確かにブームであると言えます。一方、第3次ブームの1995年辺りは、右肩上がりですが、それは緩やかに上昇しています。
そして56,755㌧@2002年⇒66,985㌧@2003年の一年間では、18%アップとなっています。よって数字から眺めてみると、第3次と第4次は併せて第3次と見るほうが自然かもしれません。
つまり第3次(1995年)辺りから少しずつブームが起こり始め、それが第4次(2002年)で一気に頂点に達したとする見方です。
するとうどんブームは3回ということになります。
豪雪うどんというネーミングのうどん初めて知りました。小麦粉とじゃがいもで作るんだぁ。
イタリアのすいとんとも言われるニョッキみたいと思いました。小麦もじゃがいももその他野菜など大地の恵みですね。作って食べて人々は栄養をもらっているんですものね。なーんてふと思いました。
埼玉県・角田秋子様
「よんでみまい」のお便りコーナーは、アイディアの宝の箱ですね。紙質をもっと落としてもいいので、もっと多くの方の声を知りたいです。木下製粉さんとつながっている事をアピールして欲しいと思います。
千葉県・T.N.様
大変気に入っております。去る10月兄弟姉妹でこんぴら山に登って、まんのう町の妹宅で、一泊して、母のお墓まいりに帰郷しました。うどん屋は琴平で2回入りました。おいしい干しうどんを作って下さい。大阪府・伊賀和子様
夕方4時過ぎる頃、近くの孫が帰ってきます。双子の女の子で部活(陸上と卓球)をやっているので、おなかぺこぺこ、「はい、パンよ」とよく渡してあげます。「ありがとう」と元気な声が返ってきます。千葉県・芦田満々代様
東京都・H.A.様
兵庫県・市道仁科様
神奈川県・Y.O.様
うどんのルーツは中国の西の方みたいですね。高松出身の歌手、タレントの松本明子さんが「笑っていいとも」のテレフォンショッキングに出演したとき、タモリさんもうどんが好きで、うどんの話になったと言ってました。電波少年だったか、何かの番組でうどんのルーツを辿っていったら中国だったって。笑っていいともは終了してしまいましたけれど。
埼玉県・角田秋子様
山梨県・功刀かつこ様
福島県・大久保淑子様
夫婦2人共、80代になり、パン作りもつい間をおいてしまいます。しかし安心して頂くには、木下製粉が良いと思っています。今後もよろしくお願いします。焼くのは私、パン切りは夫の仕事にしています。宮城県・伊藤道子様
埼玉県・山田芙美子様
埼玉県・島田もと子様
茨城県・飯嶋静香様
東京都・松下昌子様
大阪府・S.T.様
何と言っても、その香りとぬくもりが。
千葉県・田中庸子様
東京都・工藤利恵様
神奈川県・貝藤雅子様
全粒粉でパンを焼いて、大変おいしかったので、それ以来購入させて頂いています。先日はじめてつゆ付の麺を食べてみました。麺の美味しさに驚きました。今までスーパーで買っていた乾麺とは随分違いました。
青森県・田中和子様
千葉県・上野卓志様
さぬきうどん、やっぱりうどんはさぬきですね。太いうどんも美味しいですが釜七の細いうどんにもはまりました。あの口の中ですーっと喉に入る何ともいえない味です。孫たちにもこのうどんを食べさせたいです。
神奈川県・S.K.様
千葉県・國井悦夫様
静岡県・築地初江様
福岡県・藤﨑勝子様
YouTube動画の埼玉のうどん屋さんの袋にて“さぬきの夢”に出会うことが出来ました。一家うどん好きです。ほとんど寝かせる時間もとりませんが、OKです。こんなに色つやがあり、コシも強く美味しいうどんに会ったことがありません。
埼玉県・加藤康晴様
福島県・佐藤哲博様
茨城県・和田末男様
お世話になります。一年に2回程度さぬきの夢20kgを購入させて頂いてます(他に打ち粉も3kg程)。
手軽に小麦粉が手に入るので本当に助かります。値段も安価で本当にありがたいです。あとは手打ち、腕前しだいといったところです。
千葉県・H.K.様
私は夢ブラン大さじ2杯にオリゴ糖を入れ、お湯をたして飲んでいます。
とてもおいしいですし、お通じも快調です。
静岡県・原田恵子様
神奈川県・堀江みどり様
焼き菓子作りが趣味の娘が「マーガレット(薄力粉)を使うとサクサク感がちがう!!」と喜んでます。
ところで、釜七とか麺七とか、七がつくのは何故ですか?
東京都・Y.K.様
パンが好きでよく焼きます。ブラウワーは全粒粉なのでとても気に入っています。薄力粉も全粒粉をぜひお願いします。
滋賀県・M.H.様
いつもおいしいパン用粉とうどん、ソーメンありがとうございます。注文し始めの頃は昼食に1袋3束、釜あげにし、食べていました(笑)今は持病もあり多くは食べられませんが、うどん好きにはうれしいうどんです。
和歌山県・上田寿美子様
東京都・M.K.様
それにしても僅か1年で生産量が18%も30%もアップすることはなかなか想像できません。特定の店舗や銘柄であればまだしも、香川県全体でそれだけアップするのはすごいことで、だからブームということになります。因みに第2次ブームは、丁度瀬戸大橋が開通し、架橋博覧会が開催されていた時期です。四国がとうとう本州と陸続きになり、本州側から大勢の観光客が押し寄せました。金毘羅さん界隈では、一杯600円という当時では法外な価格設定の素うどんが販売され、観光地ではお土産うどんが飛ぶように売れました。製造が間に合わず、とにかくうどんの格好さえしていれば、何でも売れたとも聞きました。またあるうどん店では一日の売上が280万円という、今後きっと破られることのない記録も生まれました。これは単純に客単価1,000円としても2,800人に相当し、にわかに信じられる数字ではありません。社長さんのお話によると、当時観光バスが次々とやってくるので、普段は使用していない二階部分も開放。けれどスタッフの数は限られているため、十分なサービスは提供できず、後で社長さんはお父さんにこっぴどく叱られたそうです。しかしそのお店のあった場所も今はコンビニへと化し、時代の変遷を感じないわけにはいきません。
これまでのさぬきうどんブームを改めて考えてみると、一口にブームといってもその内容はかなり異なります。第一次ブームでは老舗のうどん店、そして第二次はフルサービスの正統派うどん店が主役でしたが、第三次になりガラリと変わります。製麺所の片隅で振る舞われるうどん、一見何もないような僻地の中でのうどん店、屋外で麦畑を眺めながら食べるうどん店、一杯100円の超安価なうどん店など、意外性を秘めたうどん店が主役となりました。
次のブームはどんな形で展開されていくのかとっても楽しみですが、ただ一つ気になることがあります。それは現在、香川県内においてもうどん店の多店舗化が進んでいるため、「さぬきうどんの多様性」が薄れつつあることです。個性をもったうどん店が減少すると、県外からうどんツアーに来られる観光客にとっても魅力は半減します。うどん店の多様性、つまり個性を持ったうどん店の集まりこそ、「うどん県」の魅力そのものだと感じます。
けいぞう
クイズの答:手水の量・臼から出ている湯気の数・麺台君のだんごの数の3ヵ所